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大阪地方裁判所 昭和56年(ヨ)4675号 決定 1982年8月25日

申請人

A

右代理人弁護士

関根幹雄

(他五名)

被申請人

学校法人泉州学園

右代表者理事長

佐々木笑子

右代理人弁護士

相馬達雄

(他四名)

右当事者間の地位保全金員支払仮処分申請事件について、当裁判所は審理のうえ、次のとおり決定する。

主文

一  申請人が、被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し金三五万六、六四〇円並びに昭和五六年一一月から本案第一審判決言渡しに至るまで毎月二〇日限り金一七万八、三二〇円をそれぞれ仮に支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する。

四  申請費用は被申請人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請人

1  被申請人は、申請人を被申請人の設置した泉州高等学校の教諭として仮に取扱え。

2  被申請人は、申請人に対し、金三五万六、六四〇円を即時に、昭和五六年一一月より本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り金一七万八、三二〇円の割合による金員及び各賞与支払月の末日限り相当額の賞与をそれぞれ仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

申請人の本件仮処分申請をいずれも却下する。

第二当事者の主張

一  申請人の主張

1  当事者

被申請人は、教諭四八名、職員八七名、生徒約一、一〇〇名(男子生徒約九〇名、女子生徒約一、〇一〇名)を擁する泉州高等学校(以下「泉州高校」という)を設置経営する学校法人である。

申請人は昭和五三年四月八日被申請人との間で雇用契約を締結して、同日から泉州高校の教諭として勤務し、同時に泉州高校バレーボール部の監督に就任した。

2  退職願の提出

申請人は昭和五六年八月一五日被申請人に対し退職願を提出し、被申請人は同年九月三日に「退職願を受理する」旨の辞令を申請人に送付してきた。

そして被申請人は同年八月一五日に合意解約が成立したとして、申請人との間の雇用関係を否認している。

3  雇用契約の存在

(一) 申請人は、昭和五六年八月二六日、泉州高校校長笠原一彦に対し口頭で退職願の撤回を申し入れ、さらに同月二九日被申請人理事長佐々木笑子に対し、八月二六日の撤回の確認手続をなした。

(二) 申請人が退職願を提出したのは強迫されたためである。すなわち、昭和五六年八月一〇日、泉州高校の笠原校長及び鐸木教頭に対し、泉州高校女子バレーボール部員の父兄から「申請人が女子バレーボール部員三名に対し強姦ないし強制わいせつ行為をなした」との訴えがあったことから、女子生徒の多い泉州高校の信用が低下することを恐れた笠原校長及び鐸木教頭が申請人に対し「真偽はともかく、このようなうわさが出るだけでも教師として失格である。退職願を提出しなければ懲戒免職にする」と申し向けて強迫したので、申請人は全く身に覚えのないことであったがやむなく退職願を提出したものである。

よって、申請人は昭和五六年九月四日、内容証明郵便において右退職願の意思表示を取消す旨の意思表示をなし、右意思表示は同月五日被申請人に到達した。

(三) 申請人が退職願を提出したのは、「うわさだけでも懲戒免職に価する」と信じたためであるが、うわさだけでは懲戒免職に価しないことは明らかである。したがって、申請人の退職願の提出はその重要な部分に錯誤があり、無効である。

4  申請人の毎月の平均賃金は一七万八、三二〇円であって、毎月二〇日に賃金を受取っていたところ、被申請人は昭和五六年九月以降その支払いをしようとしないのであるが、申請人は右賃金を唯一の収入源としていたものであり、本案判決の確定を待っていては回復し難い損害を被る。

二  被申請人の主張

1  申請人の主張1の事実は認める。同2の事実も認めるが、右辞令交付は既に確定している合意解約の事実を単に確認するものにすぎない。合意解約の効果は昭和五六年八月一五日の退職届受理により生じているのである。

2  申請人の主張3の(一)の事実は否認する。同3の(二)のうち申請人が取消す旨の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。同3の(三)の事実は否認する。

笠原校長は被害者と称する女生徒及びその父兄から直接話しを聞いて、申請人による暴行の事実があったことを確信したので、申請人の将来を慮って退職願を提出するよう説得したものである。

3  申請人の主張4のうち本案判決の確定を待っていては回復し難い損害を被るとの点は争う。その余の事実は認める。

4  仮に申請人が退職願の撤回をなしたとしても、同人は後日右撤回の意思表示を撤回している。すなわち、申請人は笠原校長に対し、退職願の撤回をなした後になって「離任式をやって欲しい」と申し入れてきた。

三  被申請人の主張に対する認否

被申請人の主張4の事実は否認する。

第三当裁判所の判断

一  申請人の主張1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  退職願の撤回について

1  疎明資料によれば、一応次の事実が認められる。

(一) 申請人は泉州高校バレーボール部の監督をしていたが、昭和五五年八月一〇日、バレーボール部員のB、C、及びDの各両親から鐸木教頭に対して「子供達が申請人から犯されたりいたずらをされたりした」との訴えがなされたので、鐸木教頭は笠原校長に右訴えのあったことを伝えた。

(二) 笠原校長は鐸木教頭と共に、同月一三日、B及びCの各女生徒本人並びにB、C及びDの各両親を泉州高校に呼び出して事情聴取をし、さらに同月一四日には単独でB、C及びDの各家庭を訪問して再度事情聴取をした。もっともこの日もD及びCの各本人とは会えず、母親から間接的に本人の話しを伝え聞いた。

そして、その足で佐々木笑子理事長宅を訪問してこれまでの経過を説明したが、佐々木理事長は笠原校長に対し、申請人に傷がつかないよう自己退にしてあげなさいと告げた。

(三) 笠原校長は、同月一五日、申請人を泉州高校に呼び出し、当初は鐸木教頭に任せたが、その後は自らも入って三人で面談をし、退職願を提出するように勧めた。

申請人はしばらくは抵抗していたが、最終的には円満退職の途を選ぶことにし、退職願用紙の理由欄に「家庭の都合に依り退職させて戴きます」と記入したうえ笠原校長に提出した。

そして、笠原校長は、当日あらかじめ泉州高校にきていた佐々木理事長に右退職願を届け、佐々木理事長はそれを受理、承認した。

なお、佐々木理事長はその日のうちに連絡のとれる範囲で退職願が提出されたことを他の理事にも報告したが、全員退職もやむなしということであった。

(四) 泉州高校バレーボール部では前同日から夏の合宿に入ることになっていて、父兄らも開始式に参加していたが、その席上申請人が退職願を提出したことを報告したため父兄らが騒ぎ出し、申請人は潔白であるとして、父兄ら独自でBらの父兄に会うなど申請人の復職に向けて行動を始めた。

そんな中で、同月二四日、バレーボールの練習場に居た申請人に対し、鐸木教頭が「離任式を九月一日に行なう。尾家先生にクラブの引継ぎをするように」と告げたのであるが、そのことを聞いたバレーボール部員らが鐸木教頭に事情を問い質したところ、「君達には関係ない。君達はバレーさえできればいいだろう」と言われたので、バレーボール部員らはその場で泣き出した。

右情景を目にした申請人は、それまで、自己が潔白であると主張したいとの思いを抱いていたこともあって、学校に戻ることを決意し、同年八月二六日、笠原校長に対し電話で「退職願を撤回させていただきます」と伝え、さらに同月二九日、佐々木理事長宅を訪れ、直接同人に対し退職願の撤回を申し入れたが、いずれも拒否された。

なお、離任式は学校行事であって学校長の権限であったため、鐸木教頭が九月一日に離任式をすると告げたのは同人及び笠原校長独自の判断によるものであって、佐々木理事長には何の相談もなかった。

また、申請人は退職願を提出した後、同年八月二九日に佐々木理事長に会って退職願を撤回するまでの間同人に会ったことはなく、その間「退職願を承認した」旨告げられたこともなかった。

2  前記認定事実の下においては、申請人による退職願の提出は、被申請人の承諾があれば即時に雇用関係から離脱したいとの趣旨であると認められるから、被申請人との間の雇用契約を合意解約をしたい旨の申込の意思表示と解されるところ、被申請人の就業規則には合意解約に関する規定は直接には存しない(第二八条及び第二九条はいわゆる解約告知に関する規定であると解せられる)が、第一九条に「職員の任用は理事長が行なう」と規定されていることからすれば、仕用のみならず、退職に関しても理事長の権限に委ねられていると解せられる。

ところで、被用者から合意解約の申込みがあった場合の解約の効力は、被用者の申込みに対する使用者の承諾がなされ、かつそれが被用者に到達したときに発生するものと解される。そして、相手方たる使用者において、申込者たる被用者に対し承認の意思表示をなすことによって右合意解約の効力が発生するまでは、それが信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、自由に合意解約申込の撤回をすることができると解するのが相当である。

そこで、本件に即して検討するに、前記のように、佐々木理事長は昭和五六年八月一五日に申請人の退職願を受理、承認したものの、申請人が同月二九日佐々木理事長に対して退職願を撤回する旨告げるまでの間申請人に対し右承認の事実を告知した事実は認められず、また、本件全疎明資料を検討しても、申請人の右退職願撤回が信義に反すると認められる特段の事情は見当たらないから、本件退職願は有効に撤回されたというべきである。

なお、被申請人は、申請人が退職撤回後笠原校長に対し「離任式をやって欲しい」旨申し出たと主張し、それに副う疎明資料もあるが、一方それを否定する疎明資料もあり、一旦退職願を撤回した者が右のような申し出をすることは不自然であることに鑑みると、退職願撤回以前であればともかく、退職願撤回後に申請人がそのような申し出をしたとの右主張は疎明不十分といわざるを得ないのであるが、仮にその点を措くとしても、本件全疎明資料によっても笠原校長が申請人の申し出を佐々木理事長に伝えた事実は認められないから、撤回の撤回が効力を生じたとはいえない。

そうすると、本件退職願による雇用契約の合意解約の成立は、その余地のないものといわなければならない。

3  従って、申請人は、その余の点について判断するまでもなく、被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあるというべきである。

三  申請人の毎月の平均賃金が一七万八、三二〇円であること、賃金の支給日が毎月二〇日であること及び被申請人が昭和五六年九月以降右賃金の支払いを拒絶していることは当事者間に争いがない。

四  申請人は賞与についてもその支払いを求めているが、その具体的な額については何らの主張、立証もない。

五  疎明資料によれば、申請人は被申請人から支給される賃金のみで生計を維持しており、扶養家族も有していて、本案第一審判決言渡しに至るまでその支払いを受けられないとすれば、回復し難い損害を被る虞があるものと一応認められる。しかし、申請人は本案第一審において勝訴すれば、仮執行の宣言を得ることによってその目的を達することができるわけであるから、本案第一審判決言渡以降確定に至るまで右賃金の支払いを求める部分は必要性を欠くものというべきである。

六  してみれば、申請人の本件仮処分申請は主文第一及び第二項掲記の限度で理由があることになるから、右部分については保証を立てさせないでこれを認容し、その余の申請については理由がなく、かつ疎明に代えて保証を立てさせるのも相当ではないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法九二条但書を適用して、主文の通り決定する。

(裁判官 廣澤哲朗)

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